【書評】小野耕世『長編マンガの先駆者たち』(佐々木果)

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『長編マンガの先駆者たち――田河水泡から手塚治虫まで』小野耕世・著(岩波書店)

「マンガ」の歴史をどうとらえるか

日本に「マンガ」は、いつからあるのか? どのように始まったのか?onokosei01s
この疑問に直接答えてくれる本は、今のところどこにも存在しないようである。もちろん歴史を考える上で、「始まり」を問うこと自体相当な無理があるだろうし、そもそも「マンガ」とは何なのかを、具体的に答えることも大変難しい。過去に、「マンガ」「まんが」「漫画」などの語で指し示されてきた社会のさまざまな「ものごと」は、きわめて広範囲な内容や形式で世の中に立ち現れていて、実態があまりに漠然としているのだ。
2017年現在でも、たとえば『少年ジャンプ』に連載されているマンガと、新聞に載っている1コマの政治諷刺マンガは、どちらも同じく「マンガ」と呼ばれる。一方、日常の会話の中で「マンガ」といった場合、現在の多くの人の脳裏には「絵や文字で場面を描いたコマ・ページが並んで、物語内容の展開があり、雑誌や単行本などで読むもの」(『少年ジャンプ』に載っているようなもの)が浮かび、漠然と共有されていることも、おそらく事実だろう。この「狭義のマンガ」についてであれば、もう少し焦点を絞った歴史が語れそうにも思う。が、実際にはそれも容易ではない。出版社などによって刊行された「マンガ」に限るとしても、数があまりに膨大な上に、そもそもきちんと残っていないものが多い。主に大衆文化として広まってきた「マンガ」は、社会の泡のように現われ消えていく大量生産・消費物であって、特に子供向けの本は、落書きされ、破かれ、捨てられていくケースも多い。
そのため、狭義にしろ広義にしろ「マンガ」の歴史を調べ、語ることは大変難しく、研究者が頼るべきアーカイブズも参考資料も、きわめて限られているのが現状だ。それでも、少しずつ史料を掘り起こし、光をあてて、何らかの歴史観を提示しようという試みが、さまざまな人によって細々と行なわれている。
そんな状況の中で、「マンガ」の歴史を考える重要な手がかりを与えてくれる本が新たに刊行された。小野耕世『長編マンガの先駆者たち――田河水泡から手塚治虫まで』は、一般的にアクセスしにくい歴史的な名作を、具体的に紹介・論評してくれる点でも価値が高いが、同時に、狭義の「マンガ」史を考えるための、重要な歴史認識をも提示している点で、注目すべき著作だ。

『奇想天外』連載開始から37年での単行本化

本書で紹介されているのは、主に以下の作家の作品だ。

  • 田河水泡(のらくろ、他)
  • 茂田井武(星の話、三百六十五日の珍旅行、他)
  • 大城のぼる(火星探検、他)
  • 横山隆一(でくの棒デックくん、他)
  • 松下井知夫(新バグダットの盗賊、ナマリン王城物語、魔神モセス、他)
  • 横井福次郎(冒険児プッチャー、ふしぎな国のプッチャー、冒険ターザン、他)
  • 宍戸左行(スピード太郎、特急無敵三郎、他)
  • 藤子不二雄(最後の世界大戦、他)
  • 田川紀久雄(海底大魔王、飛行星、怪星襲来、他)
  • 手塚治虫(新宝島、地底国の怪人、妖怪探偵団、他)

手塚治虫の作品を除いて、現在ではほとんど入手困難なものばかりだ。にもかかわらず、「マンガ」の歴史を考える上では、どれも外すことができない作家(作品)であり、そのこと自体、マンガ研究のハードルの高さを感じさせる。著者はこれらの作品を、自身が読んだ時の時代状況や、海外の作品、他のメディア作品などの関係性も含めて、ていねいに発掘し、読み解き、紹介してみせてくれる。「マンガ」史を研究しようとする者には、ガイドとして大変ありがたい内容だ。
原稿のもとになったのは、SF雑誌『奇想天外』に1980~81年に載った「奇想天外コミックスの系譜」という連載エッセイで、この先駆的な仕事に今回新たに手が入れられ、ようやく1冊の本にまとめられた。
本の帯には、「気分はいまでも、マンガ少年!」と大きく書かれ、「熱烈な少年読者として戦後マンガを味わった著者が、鮮明な記憶にマンガ家たちの証言を織りんでふりかえる、個性あふれる長編マンガ論」という説明がある。確かに、この著者らしい語りが味わえて、その通りの内容の本なのだが、それは本書の魅力の半面でしかない。むしろ、残りの半面の重要な魅力を見失わせかねないコピーで、正直どうかと思う。本書は、「気分はいまでも、マンガ少年」のままでいたら、決して見えてこない重要な歴史の見方を語ってくれているのであり、しかも重視されているのは「戦前マンガ」だ。(著者はそれらを戦後になって読んだということだ)

1930年代に何があったのか?

本書のキーワードは、タイトルにもなっている「長編マンガ」だ。この一見平凡そうな語が、実はこの本を貫く決定的なコンセプトであり、すべての記述を支える柱になっている。
日本では、明治時代からコマ割りされた「漫画」が雑誌や新聞などに掲載されてきた。しかし紙面上の単発の「記事」や「コンテンツ」のひとつでしかないため、占有できる面積は限られており、それほど多くのコマ数を使うことはできなかった。明治20年代からは「ポンチ本」と呼ばれるような赤本も登場していたが、袋綴じで10数ページ程度の体裁であり、多くは4コマ程度の漫画を数編載せる形で作られていた。
現代の我々がイメージするような、ある程度の分量の物語を表わした「マンガ」が登場するためには、どうしてもコマやページの「量」が必要だ。そして、それを手に入れるためには、おそらく次の2つの方法をとるしかない。
・連載(読み切り連載ではなく、物語内容が次回以降へ連続する形式)
・単行本描き下ろし
日本で最初に本格的な「連載」で長編を描いたのは、おそらく岡本一平だ。1921(大正10)年10月に「オギヤアより饅頭まで」(人の一生)が東京朝日新聞で始まっている。これは数年かけて主人公の一生を描ききろうとした壮大な企画だった。1923(大正12)年1月には「正チャンのばうけん」がアサヒグラフ(日刊)で始まり、4コマずつの連載ながら物語内容は次回へ続き、子供向けの本格的な長編作品となった。これらの作品は、後から単行本化され、「連載による長編作品→単行本化」という流れが1920年代には日本に出現している。
そのような単行本が人気を博して売れ行きがよければ、多くの版元も参入しようとすることは想像に難くない。しかし連載媒体を持っていない中小の版元は、他社で連載した原稿を借りるのでもなければ、描き下ろしという方法でしか「マンガ」の単行本を作ることはできない。
日本では、1930年代に入って講談社『少年倶楽部』に連載された作品(「のらくろ」など)が、単行本としても人気を集め、その市場に中村書店を代表とする多くの出版社が「描き下ろし単行本」で参入し、大量の「マンガ」本が刊行された。著者が「長編マンガ」というキーワードで注目するのは、まさにこの時代だ。
大量の作品が日々発表されつづけている日本の「マンガ」が、いかにして今日のような隆盛に至ったのか。その飛躍の決定的なステップを、著者はこの時代に見ているのだ。
「長編マンガ」という語は、以上のような時代背景をこめて用いられている。ここから「マンガ」は、本格的に多くのコマとページを消費する長いものに変貌し、たっぷりある紙面をいかに使って表現を工夫するかという、技法的な課題の取り組みも急激に進む。

グローバルな「マンガ」史に向けて

しかも興味深いのは、著者がこの時代の日本を「世界史」の観点から見て、「世界のマンガ史上でも突出した、新しいマンガ出版の試みが日本でなされていた」(P.281)と評価していることだ。
たとえば、1930年代の講談社の「のらくろ」「タンク・タンクロー」などの作品について「クロース装貼函入りのハードカバー彩色マンガとして、次つぎと単行本化されていったのは、壮観といっていい。全一六〇ページ三色刷り、ハードカバーの子ども向けマンガ単行本など、この頃、日本のほか世界に例がなかった。」と指摘し、さらに「講談社系の一般誌・婦人雑誌・少年雑誌・少女雑誌・幼年雑誌のそれぞれに、すべて連載マンガがあったということも、日本では別に珍しくないと思われるかもしれないが、欧米ではほとんど考えられないことだった」(P.9~10)と述べている(たとえばアメリカのコミックスは、新聞連載が中心だった)。これは、海外のコミックスなどに見識の深い著者だからこそ指摘できたことだろう。日本では「マンガ」をグローバルな歴史の中に位置づけ、世界史的に評価しようとする機運は稀で、傾聴すべき重要な歴史認識だ。
著者は、すでに2002年に同様の指摘を『マン美研』(ジャクリーヌ・ベルント編、醍醐書房)というアンソロジーの中で行なっており(「日本とアメリカにおける長編物語マンガの発展」)、それを今回拡張させる形で展開しているといえる。
もちろん、このような日本独自の「マンガ」の発展は、海外作品からの影響関係で始まり、支えられていることも、本書では十分に指摘されている。
コマ割り形式で物語を表わす「マンガ」は、基本的に輸入文化だ。先行するヨーロッパやアメリカの新聞・雑誌に掲載されたcaricatureやcartoonやcomicの影響を受け、明治以降に日本でも「漫画」が発表されるようになり、日本の新聞や雑誌には多くの海外作品が翻訳紹介されてきた。特にマクマナス「親爺教育」やサリバン(メスマー)「黒猫フェリックス」など正式に版権をとった多くの作品が日本の新聞に連載され、広く人気を集めていたことも、今となっては一般的には忘れられていることが多い。
1930年代は、日本だけでなく、アメリカやフランスなど他の国々でもcomicsやbande dessinéeが発展をしていた時期だ。それらの相互の影響を考慮しつつ、それぞれの独自の発展を検証していく。そのような作業の中でこそ、日本の「マンガ」の独自性も見えてくるのだろう。

マンガの歴史に関心のある人にはぜひ一読を勧めたい。

(佐々木 果)

小野耕世 『長編マンガの先駆者たち――田河水泡から手塚治虫まで』 2017年5月26日発行(岩波書店)ISBN978-4-00-023890-8

【追記】2017.10.4
10月22日(日)に、この本の出版記念講演が「森下文化センター」(東京都江東区)で行なわれる。(要申し込み。申し込み期間後も受け付け中)
https://www.kcf.or.jp/morishita/koza/detail/?id=260