「ストーリー」と「漫画」が出会う時
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歴史的に見ると、「漫画」は元々「ストーリー」のメディアではなかった。まずは、そう考えてみることにしよう。
そうだとするならば、いつ、どこで、どのようにして「漫画」は「ストーリー」のメディアとなったのか?
この問いは、まんがの歴史に興味がある人ならば、普通に思い至るものだと思うし、多くの人が関心を持つ素朴な問いだと思うが、じつは素朴すぎて、なかなかまっすぐ答えることができない。そもそも「漫画」とは何なのかという点で、人により大きく認識が異なる上に、「ストーリー」という言葉さえ、きちんと考えようとすると、その意味は意外に漠然としている。だいたい、本当に「漫画」は「ストーリー」のメディアではなかったのか? そのような認識自体が、偏った見方ではないのか? 疑いをさしはさみ始めると、きりがない。
それでも、今の日本で雑誌や単行本やWebなどに大量に掲載され、キャラクターやらストーリーやらが描かれ、広く普及しているまんがというものについて、その歴史を考えようとするならば、曖昧模糊として意味の定まらない「漫画」「マンガ」「まんが」「ストーリー」「キャラクター」などの言葉を(なだめすかして)使いながら、一定の問題設定をしていかないと、何も始まらない。
だから、かなり乱暴な言葉の使い方であることを承知の上で、この問いを提示したい。いつ、どこで、どのようにして「漫画」は「ストーリー」のメディアとなったのか。
結論を求めているわけではない。重要なのは、このような観点で検討した時に、どのような歴史が浮かび上がってくるか、だ。
「ストーリー」と「漫画」が出会う時に、どんな問題が浮上するか? その歴史的な論点や内容は、おそらく現代のまんがを検討する上でも、とても刺激的で有用なものとなるはずだ。
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明治時代に「caricature」や「cartoon」が日本に入ってきて、訳語として「漫画」が用いられて以降、「漫画」は多くの場合新聞や雑誌などを舞台に、諷刺やジャーナリズムや笑いなどの役割を通じて世の中に定着した。それらは1920年頃まで基本的に、各メディアの誌面のごく一部分、片隅に載る「記事」のひとつであり、本格的な意味での「ストーリー」展開とは無縁だったといってよい。限られた誌面の中で「コマ割り」による内容の展開は可能であっても、長い「ストーリー」を絵で展開するほどの面積は、まず与えられない。(だからこそ、その例外である「明治ポンチ本」や赤本などの存在は注目に値する)
1921年に岡本一平が初めて本格的な連載長編漫画「人の一生(オギヤアより饅頭まで)」を朝日新聞で発表した時には、絵に大量の文章を添える形式をとっている。狭い紙面スペースの中で、「ストーリー」と「漫画」を出会わせるという挑戦をした岡本一平は、そのようなスタイルを選択したのだ。なんといっても、「ストーリー」を展開させるには、文章を用いるのが最も効率がよい。
このような「紙の面積」が乏しい事情は、本家「caricature」や「cartoon」の国々でも、おおむね変わらない。諷刺画としての「caricature」が流行した18世紀後半から19世紀初頭のイギリスで出版されたのは、主に1枚シートの版画だった。そこにページという概念はない。1820~30年代以降のイギリスやフランス、1840年代以降のアメリカなどで流行した19世紀の諷刺雑誌なども、掲載される「caricature」や「cartoon」はほとんど1コマもので、たとえ割り当てられた面積が広くてもだいたいは1、2ページ程度のものだ。コマ割りによる内容の展開はあっても、長いストーリーを語るほどの余裕はない。
そんな19世紀にあって、興味深い例外が、ロドルフ・テプフェールと、その追随者たちの作品だ。テプフェールは「単行本を描き下ろす」という前例のないやり方で大量のページを確保し、その広い空間の中で「ストーリー」と「漫画(caricature)」を本格的に出会わせるという実験に挑戦した。
彼以前にも、コマを並べて絵を連続させて物語を表現するという形式自体は、広く存在していた。しかし彼のように、「本」という広大な紙面の中に「漫画(caricature)」を解き放ち、「漫画(caricature)」特有の機能を活かした修辞技法を編み出して、読者に向けて「ストーリー」を体験させ、新しい物語メディアを立ち上げようと挑戦した人は、今のところ彼以前には見あたらない。その成果は現代のまんがにも受け継がれているといっていいだろう。
とはいえ、テプフェール以降、「本」としての「ストーリー漫画」はフランス、イギリス、アメリカなどで19世紀半ばにいくつも試みられたが、定着はしなかった。「ストーリー」が改めて隆盛となるのは、20世紀に入ってからのことである。テプフェールのような試みは、「連載」「単行本」という(紙面がふんだんに使える)出版形態がマスメディアで広くとり入れられ、一般化しなければ成り立たない。そこに至るまでには、まだ歴史の紆余曲折がある。それでも、テプフェールの行なった挑戦自体は、「ストーリー」と「漫画」の歴史の大きな転換点として、多くの研究者の関心を集めて続けている。
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「ストーリー」と「漫画」はいかにして出会うのか。この問いに、テプフェール以外のさまざまな人も、それぞれの時代にそれぞれのやり方で答を出してきた。たとえば岡本一平は、岡本一平なりの答を出してみせた。その挑戦は現在でも続いている。多くの描き手が、この問いを引き受けて、自分の答を出そうとして作品を描いている。
では、そのような歴史の重要な転換点にあたるテプフェールの答とは、具体的にどのようなものだったのか?
彼が「ストーリー漫画」を描く上で問題にしたのは、キャラクター(性格、特徴、登場人物)、顔、身体、行動、絵と線、絵と文字の関係性、物語、印刷などきわめて多岐にわたっており、自らそれを理論化して文章に書き記してもいる。それらの内容を、テプフェールの境遇や時代背景などに照らしながら検討し、解説してくれるのが、今年出版された「「ストーリー漫画の父」テプフェール 笑いと物語を運ぶメディアの原点」(森田直子・著/萌書房)だ。タイトルにあるとおり、「ストーリー」「漫画」という観点でテプフェールの業績を基本的にとらえ、詳細に論じている。
日本人による初のテプフェール研究の単行本であるが、テプフェールの手稿など多くの1次資料の調査や、海外の研究者の成果なども踏まえて、広範囲にわたるテプフェールの論点を扱っている。しかも単なる作品研究ではなく、19世紀のジュネーヴに生まれ育ったという条件も含めて、この人物の生きざまを重要な手がかりにしながら、彼の活動の軌跡をとらえていく点も、歴史背景を知る上で意義深い。
巻末には年表や資料の他、代表作の「ジャボ氏」が日本語対訳付きで収録されており、すぐにテプフェールの作品に触れることもできる。
テプフェールのみならず、ストーリーメディアとしてのまんがを一般的に研究する上でも、大きな手がかりとなる本だ。ふだん海外まんがにはあまり馴染みがない人にも、ぜひこの機に注目してほしい。もはやまんが研究は「日本史」にとどまる時代ではなく、「世界史」の中で考えるべき段階に来ているのだから。
(佐々木果)